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Women at Work !  6


4月の声を聞くと急に春めいた陽気になった。
今年は何度か寒の戻りがあり、開花が遅れた桜は、今ようやく満開の見ごろを迎えている。
翌日に外国企業との合併調印式を控えていた朝倉本社は、慌ただしい中にも祝賀のムードに包まれていた。


「兄貴も一本どう?」
「いや、いい…止めておく」
丁度打ち合わせで大地のオフィスに来ていた弟の嶺河に、タバコを勧められたが断った。
陽南子と屋台で飲んだ日から、大地は極力タバコを控えるようになっていた。
一時は止めていたタバコを再び吸うようになったのは数年前、妻と息子を亡くした頃からだった。家族がいなくなった自宅では、別段止める必要もなかったし、誰も彼を嗜める者がなかったせいで、気がつけば知らない間に吸う本数が増えていた。

「へぇ、めずらしいな、ヘビースモーカーのくせに」
「これでも最近少しずつ減らしてるからな」
「うそ!?また、どういう心境の変化?」
近年、健康管理の面から少しセーブするよう医師から言われていたが、なかなか行動に移せなかった。それが彼女の一言で、少しずつ気をつけているうちに何となく本数が減っていることに気付いたのだった。

「まぁ、な…」
一緒にいる人間が嫌がるならば、無理に吸うこともないだろう。そう思って極力吸わないようにしていたのだが。
「煙を嫌がる女でもできたか?」
にやりと笑いながら冗談のような口調で図星を突く弟に、大地は苦笑いをするしかなかった。相変わらず掴みどころがないわりに勘の鋭いやつだ。
「…ノーコメント」
わざと肯定も否定もしなかった。
確かに気になる存在ではあるが、はたしてそれが「女」として彼に影響を与えているのかは定かではない。ただ、陽南子の実直な言動が、どこか彼の琴線に触れたことだけは確かだった。
「ふーん」
それ以上、嶺河は何も訊かず、この話題は打ち切りになった。
ただ、いつになく兄の表情が柔らかくなっていることに、この時すでに弟は気付いていた。


「ああ、そういえば…」
話を終えた嶺河を部屋から送り出した大地は、机の上に置かれたメモに目を遣った。
ミューズ・シティの図面の調査を命じてから数日。そろそろ上ってくるはずの報告書がまだ手元に来ていなかった。これは本来ならば朝倉建設に精査をさせるべきところだが、事情が事情だけに敢えて本社から直接外部にチェックを依頼したのだ。
だが、明日の式やその後のパーティーの準備で、秘書課も今はそれどころではないのだろう。

週末の調印が終わったら一度確認させてみなければならないな。

大地は翌日の予定を確認しながら、それを頭の片隅に書き留めた。



一方、陽南子は、大地と屋台で飲んだ翌日、近所に住む職人の車に自宅の前で拾ってもらい、現場に出勤した。
その日は珍しく、朝一番から稲武が現場に来ており、事務所で日報を読みながらタバコをふかしていた。陽南子は部屋に籠もった煙を見ると顔を顰めながら窓を開ける。
「おはようございます、社長」
一応形だけの挨拶だけ済ませると、荷物を置き、壁に掛けてあるヘルメットに手を伸ばす。ただでさえ窮屈な狭いプレハブの中、煙に燻されながら嫌な人間と一緒にいるのは気詰まりなので、早々に外にでようと思ったからだ。

「巽君」
戸口を出ようとした時、稲武に呼び止められた。
「朝倉社長とえらく昵懇になったそうだな。君のことだから、色目を使ってどうこうということはありえんだろうが。まぁ、あの人に気に入られて損はない。精々取り入っておくことだ。しかしあの社長が、君みたいな男女(おとこおんな)が趣味とはなぁ。知らなかったよ」
陽南子は硬い表情で何も答えず、ドアを叩きつけるようにして閉めた。

「クッソーあのエロオヤジ、ムカつく、マジでムカつくぅ!」
事務所から見えない場所まで来ると、陽南子は地団駄を踏んだ。
いつも女扱いされない彼女だが、特に稲武はセクハラすれすれの嫌味を言う。
いや、彼女がいかに女として魅力がないかということをあげつらうのだから、セクハラではないか…。
うーんと唸りながら、妙なところで自分に突っ込みを入れてみる。

「まぁ、確かにねぇ…」
男女共に多い友人たちは、彼女を女性という概念で縛らない。
だから女の友達といる時はよく「彼氏の代わり」と言われるが、実は自分もそれを楽しんでいた節がある。その見た目や性格ゆえ、男友達も同性のような親しみを持って付き合ってくれるし、それを嫌だと思ったことはないのだが。

『まぁ、難を言うなら男相手だと「友人」にはなれてもそれ以上には発展しないことかな』

これまでにも何人かの男性と付き合ったが、どれも最後にはうやむやになり自然消滅してしまった。
本質的に自分は異性に甘えるのが下手なのだ。だからこうして欲しいとかこうしたいと思っても、それを上手く伝えることができない。そうしているうちに、いつの間にか恋人は友人になってしまうか、別の甘え上手な女性に乗り換えられてしまう。
高校までは完全な女子校で、女の園。その中でユニセックスな容貌を持ち、目立って身長が高かった陽南子はいつも「憧れのお姉さま」役だった。靴箱にラブレターが入っていることは日常茶飯事だし、バレンタインに校門の前で待ち伏せされて、チョコレートを渡された経験は数知れずだ。
大学時代は一転、周りが男ばかりの学科だったので、その中混じるとどこでも女扱いされなかった。これは環境のせいもあるだろうが、やはり彼女自身の性質によるものが大きいのだろう。

多分、朝倉社長もきっとそんなところだろうな。

陽南子は半分諦めの混じった溜息をついた。
久しぶりに何となくいい感じの男性に出会ったように思えたが、実際は仕事がらみの間柄以上にはなりようがない。
何より置かれた立場をしっかりと認識しておかないと、勝手にのぼせて後で泣きを見るのは自分なのだから。



その日、家に帰ると珍しい客が待っていた。
母の兄の妻、つまりは伯母だ。
陽南子の母は、彼女が高校生の時に他界していて、それ以来彼女は父方の祖父母と共に生活している。母方の親族とは年に数回会えばいい方だ。
その伯母が満を持して登場したとなると、大体話の内容は想像が付いた。

「伯母さん、久しぶりですね。ご無沙汰しています」
疲れていて相手をしたくないのは山々だが邪険にもできず、彼女は勧められるまま座敷に腰を下ろした。
「これ、陽南子ちゃんに」
目の前には見合い写真と釣書が並んでいた。
「会うだけでいいから、会ってみなさいよ。その方、良い方みたいよ」
釣書によると、どこかのお役所に勤務している38歳、そこそこのエリート公務員らしかった。
気が進まない様子で写真を捲ると、その男性は、容姿はそれなりといった感じだが、どこか貧弱に見えた。多分、腕力だけなら勝てるな、そんな不遜な考えに内心苦笑いしながら、陽南子は伯母に訊いた。
「で、この方は私のこのなりをご存知なわけですか?」
「一応写真と釣書は渡してあるわ」
あの、10年も前の成人式の写真をまだ使い回しているのかと思うと恐ろしいものがある。身長の高さをカバーするために椅子に座って写真を撮ったせいで、それほど大女には見えないのだが、返ってそれがあだになったことも数え切れなかった。
「とりあえず、今度の土曜日、場所はここ。時間は午後の4時ごろにラウンジで待ち合わせするようにしておいたから、ちゃんとした格好で来てね」
差し出されたリーフレットには『Hotel City of Tokyo bay area』と書かれてあった。
確かここは、外資系のホテルチェーンが昨年開業したばかりのまだ新しいホテルだ。ウォーターフロントに用事のない陽南子は行ったことがないが、巨大な建物は遠くから何度か見たことがあった。
しかし、姪の婚期を心配してくれるのはありがたいが、こちらの都合も聞かず勝手に話を進めるのは止めて欲しいものだ。今週はたまたま土日が休みになっているが、現場はいつも土曜日が休みとは限らないのだ。
「どういう結果になっても知りませんよ。それでもいいんですね」
「大丈夫よ、きっと気に入るって」

いやいや、こちらの好き嫌いより、先方が話に乗るかどうかの方が格段に問題なんですがね。
陽南子は心の中でそう呟く。

「そうよ、陽南子。ご縁ってどんなところに転がっているか分からないのだから、行ってみなさいな」
それまで側で黙って話を聞いていた祖母も乗り気になっているようだ。祖父も無言ながら大きく頷いている。

『うわ、四面楚歌とか孤立無援ってきっとこんな感じ?』
意味もなく頭の中で四文字熟語を並べながら、陽南子は溜息をついた。
伯母と祖父母は本人そっちのけで、この話に盛り上がっている。

『もう、勘弁してよぉ…』
何にしてもこうなると、とにかく土曜日は見合いに行くしかなさそうだった。




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